月夜の短編集

2026.11.01 / 政治

二行目

世界・逆位置
過去 世界・逆位置
魔術師・正位置
現在 魔術師・正位置
女帝・逆位置
未来 女帝・逆位置

義母が亡くなった翌朝も、和代は六時に揚げ油に火を入れた。

店を続けるとも、たたむとも、誰も口にしなかった。夫の昭は葬儀の疲れで二階から下りてこず、和代は一人でじゃがいもを潰し、衣をつけ、油に落とした。いつもの音がした。開店の札を返すと、向かいの呉服店のおばあさんが、黙って一つ買っていった。それで十二年が過ぎた。始めたわけでも、終わらせたわけでもない店で、和代は毎朝、同じ音を聞いてきた。

◇

その角の呉服店も、今は空き家になって四年になる。建物は商店街の組合が持っていて、ドラッグストアの会社が買いたいと言ってきた。売ったお金で、雨漏りのするアーケードの屋根を直す。理事会でその案が出たとき、和代だけが「反対です」と言った。誰も聞き返さなかった。組合の決めごとは、昔から全員一致だった。

会計の理事として、数字はすべて和代の手元にあった。屋根の見積もり、売値、店ごとの組合費、空き店舗の数。帳簿と電卓とボールペンを並べれば、売るほかないことは、誰よりも先に分かっていた。ドラッグストアは鶏肉を百グラム九十八円で売る。うちは百四十八円だ。それも分かっていた。

総会の前の日曜、店のテレビで、背広の年寄りが話していた。反対だと言ってきたが、党で決まったことだから採決では賛成する。自分の考えと違う法律は、これだけではない。

昭がコロッケをつまみながら笑った。「偉い人もお前と一緒やな」

和代は笑わなかった。ずるい、と思った。けれど、その言い方なら、反対したことを嘘にせずに手を挙げられる。その夜、和代は帳簿の裏に、言うことを書いた。私は反対です。それでも、決まったことなので賛成します。二行にすると、ずいぶん楽になった。

◇

総会は呉服店の二階で開かれた。畳に座布団が二十八枚並び、売却の議案には三分の二の賛成が要ると、組合長が読み上げた。

「篠田さん、会計から一言」

和代は立って、帳簿の裏を読んだ。一行目を読み終えたところで、部屋の空気が変わったのが分かった。

「会計が反対なんか」

奥で、金物屋の主人が言った。「数字を一番知っとる人が反対やったら、なんかあるんやろ」

「ちゃいます。数字は売るしかないって」

「ほんなら、なんで反対なんや」

和代は二行目を読んだ。誰も聞いていなかった。テレビのあれやな、と誰かが小さく言い、何人かが笑った。手が挙がり始めたとき、和代の前の三人は膝に手を置いたままだった。数えると、十七。三分の二には二本足りなかった。

翌週、ドラッグストアの会社は、駅の反対側の空き地に店を出すと組合に伝えてきた。屋根の修理代は、店ごとの負担金で賄うことになった。和代は会計として、その額を電卓で割った。一軒あたり八十二万円。自分で読み上げた。

その晩、昭は湯呑みを置いて言った。

「うちは払えんな。閉めよか」

責める声ではなかった。むしろ、ほっとしたような声だった。和代も、そうしたかったはずだった。駅の向こうに大きな店ができて、客が流れて、仕方なく閉める。誰のせいにもできる閉め方を、ずっと待っていた。

いま、閉める理由は、総会の座布団の上に立った自分の二行目の前にあった。

翌朝、和代は六時に揚げ油に火を入れた。閉める日までのぶんの、じゃがいもを潰した。通学の子が二人、ガラスの前に立った。和代はいつものように、売り物にならない形のを一つずつ、紙に包んで渡した。

「おばちゃん、ここ閉まるってほんと」

「ほんと」

「なんで」

和代は答えずに、次の衣をつけた。油の音だけが、いつもと同じだった。

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ニュースと選定

題材は「自民 宮沢前税調会長“消費税減税より給付”も法案には賛成」。 食料品の消費税減税関連法案をめぐり、自民党の宮沢前税制調査会長は11月1日放送のBSテレ東「NIKKEI日曜サロン」で、中低所得者対策としては減税より給付が望ましいとの考えを示した(安い鶏肉・豚肉を買う人より松阪牛を買う人の方が有利になると指摘)。党内手続きでは反対を表明し総務会を欠席してきたが、党として決めたことなので国会採決では賛成すると明言。「自分の考えと違う法律はこれだけじゃなくていろいろある」と述べた。 NHKニュース(11/1 12:59)と、出演番組の配信元テレ東BIZ「NIKKEI日曜サロン」(2026年11月1日放送回、番組動画・要約)で発言内容を確認。一次情報=放送そのもの(テレ東BIZ公式動画)。配信日11/1を確認済み。

人物

篠田 和代(仮名)、58歳、岐阜県の地方都市の古い商店街で夫と精肉店を30年営む。商店街振興組合の理事。息子は東京で就職。角の建物をドラッグストアに売る案に理事会で一人反対したが、来週の総会で理事として賛成に手を挙げることになりそう。 名前:篠田 和代(仮名)/58歳/精肉店のおかみ(店頭・コロッケ揚げ担当)、商店街振興組合理事(会計)。 家庭:2歳上の夫・昭(二代目店主、腰を悪くしている)と二人暮らし。一人息子(30)は東京のIT企業勤務で継ぐ気はない。店の二階が住まい。 過去:隣県の農家の出。短大卒業後に信用金庫勤めで夫と知り合い25歳で嫁ぐ。義母から店を仕込まれた。アーケードが賑やかだった頃の夏祭りの記憶が支え。 悩み:組合が、空き店舗になっていたアーケード角の旧呉服店の建物(組合所有)をドラッグストア会社に売る案をまとめた。理事会で一人だけ反対と言ったが、全会一致の慣習で来週の総会では理事として賛成に手を挙げる流れ。ドラッグストアは肉の特売もする。 喜び・希望:常連の子どもが大人になってコロッケを買いに来ること。揚げたての音。いつか夫と二人で温泉旅行をすること。 本音:反対したのは商店街のためというより、自分の店が負ける形がはっきりするのが怖いから。実は自分も店をたたむ理由を探していて、ドラッグストアのせいにできたら楽だと思っている。

三枚のカード

  • 過去:世界(逆位置)
  • 現在:魔術師(正位置)
  • 未来:女帝(逆位置)

この物語は実在人物を描いたものではありません。ニュースは2026年11月1日時点の報道を起点にしており、制度変更を既定事実としていません。