二十歳の冬、環奈はモスクワの寮の机で、毎晩、新聞に辞書を当てていた。
語学学校の教師は、教科書の例文を一日百回書き写せと言った。環奈はそれをやめて、寮の角のキオスクで買う薄い新聞を、一記事ずつ訳した。読めない単語に丸をつけ、翌朝、同じ階のヴェーラに見せた。記者になりたいと言っていた彼女は、赤鉛筆で環奈の訳語を消しては、横に一言ずつ書いた。〈ちがう。この人は怒ってる。もっと低い声で〉。
教科書を捨てたつもりだった。けれど帰国してからも、環奈は毎朝一記事を訳し続けた。熱が出た日も、娘が生まれた朝も。十八年、一日も欠かさなかった。いつからか、やめるのが怖くなっていた。自分で選んだはずの型に、自分で縛られていることには、気づかないふりをした。
◇
その朝、環奈は台所で、やかんが鳴っているのにしばらく気づかなかった。
画面に、あの新聞が編集部を閉じるという記事があった。三十年あまり続いた編集部が、冬のはじめに解散する。理由も書いてあった。読めるのに、意味が入ってこなかった。
ヴェーラとのやりとりは、一年前で止まっている。最後に送った写真には、まだ既読がつかない。生きているのか、忙しいだけなのか、もう読みたくないのか。どれでもありうるし、どれとも決められない。
「沸いてるよ」
徹が火を止めた。食卓には、来年度の時間割の通知が広げてあった。ロシア語の授業が一コマ減る。夫は通知を畳みながら、英語の実務翻訳なら知り合いの会社に口をきける、と前にも言ったことをもう一度言った。責める口調ではなかった。それがかえって、答えにくかった。
「ママ、今日の一本は?」
娘の芽衣が、ノートの端に逆さのRを書きながら聞いた。母の机のキリル文字を、近ごろ面白がって真似している。
環奈は、今日訳す記事を選べなかった。閉鎖の記事を訳せば、それが最後の一本への数え始めになる気がした。訳さなければ、十八年が今日で途切れる。どちらとも決めないまま、環奈は流しの前に立って、窓の外が白んでいくのを見ていた。
◇
夕方、版元の編集者から電話があった。三年かけて訳し、延期になったままの短編集のことだった。
「作家ご本人から、今朝メールが来ました。日本での刊行は、見合わせてほしいそうです」
作家は若い頃、あの新聞にコラムを書いていた。編集部がなくなれば、記者たちは散り散りになる。訳者あとがきに一人でも名前が載れば、誰かに迷惑がかかるかもしれない。それが理由だった。
「片桐さんにも一言、と添えてあります。原文のまま転送しますね。うちでは読めないので」
届いたメールは短かった。環奈はそれを、いつもの朝と同じ手つきで訳した。辞書は引かなかった。最後の数行だけ、何度か打ち直した。
〈訳者の方へ。この本は、誰も止めに来る心配のない朝が来るまで、あなたの机の中に置いておいてください。それまで、私たちの言葉を手放さないでください。これはお願いではありません。私が決めたことです〉
「お願いではありません」のところで、環奈は一度、柔らかい言い方に直しかけた。ヴェーラなら、赤鉛筆で消しただろう。この人は怒ってはいない。けれど、低い声で言っている。環奈は元に戻し、そのまま送った。
しばらくして折り返してきた電話で、編集者は小さく息をついた。
「じゃあ、原稿はお返しします。片桐さんの机に」
その晩、徹は何も言わずに、冷蔵庫の扉に貼ってあった英語の会社の名刺を外し、手帳に挟んだ。芽衣はまだ、逆さのRの練習をしていた。
翌朝、環奈は閉鎖の記事を訳した。誰に見せるあてもない、十八年と一日目の一本だった。