昭和の終わり近く、久雄は親方を亡くし、甲府の小さな印章店をひとりで引き継いだ。同じ冬に長男が生まれ、翌年の春には、取引先の工務店が二つ続けて潰れた。注文帳は白いページばかりになった。
その秋の朝、眠れずに二階の物干しへ出ると、盆地の向こうの山が、頂にだけ薄く白をかぶっていた。誰に見せるでもなく、久雄は店の大学ノートを一冊おろし、最初のページに定規で縦の線を引いた。左の欄に、自分が見た日。右の欄に、気象台が発表した日。
最初の行は、左が「10/9」、右が「10/10」だった。一日、勝った。久雄は誰もいない作業場で、少し笑った。
それから秋が来るたびに、一行ずつ増えた。一日早い年、二日遅い年、ぴたりと同じ年。ずれを見比べるのは、彫り上げた印影を拡大鏡で確かめるのに似ていた。一本の線もずらさない。それが久雄の仕事の誇りだった。
ただ一度だけ、左の欄に右の数字を写した年がある。手形の期日に追われ、毎朝銀行と問屋のあいだを自転車で走っていた秋だった。山を見上げる余裕などなかった。気づけば新聞に初冠雪の記事が出ていて、久雄はその晩、何でもない顔で、二つの欄に同じ「10/21」を書いた。誰にも言っていない。佳代子にも。
◇
今朝、久雄は三度、物干しに上がった。
山のあるはずの方角には灰色の雲が低く垂れて、裾も頂も見えなかった。三度目に下りてくると、茶の間のテレビが富士山の初冠雪を伝えていた。今年から気象台は人の目で見るのをやめ、レーダーや宇宙から届く数字で雪が積もったかどうかを判定するのだという。甲府からは、今朝は山が見えなかったはずだとも。
「見えんのに、降ったことになるのか」
久雄が言うと、佳代子は番茶を注ぎながら「降ったんでしょうよ」と言った。
昼前、東京の息子から電話があった。
「親父のノート、写真に撮らせてよ。ネットに上げたら、きっと面白がる人いるって。五十年分だろ」
「まだ四十何年だ」
「同じだよ」息子は笑った。「年末に帰ったとき撮るから、考えといて」
受話器を置いても、久雄は返事をした気がしなかった。七冊目のノートを開くと、今年の行が空いている。見ていない日を左に書けば、あの年と同じになる。書かなければ、欄は空いたまま冬が来る。久雄は鉛筆を持ったまま、しばらく動かなかった。
◇
夕刊の地域面に、気象台の小さな記事が載っていた。百三十年あまり続いた目視による初冠雪の観測は、昨年の秋で終わっていた。添えられた表の最後の行に、去年の日付があった。
久雄はノートをめくり戻した。去年の行。左に「10/22」、右に「10/23」。去年の自分は、いつもの鉛筆で、いつもと同じように書いていた。一日、勝った、と少し笑ったのも覚えている。
あれが、最後の行だった。
右の欄に数字を書き込む人は、もういない。比べる相手のいない欄に何を写しても、写さなくても、もう誰ともずれることはない。この帳面は去年の秋に、自分の知らないところで閉じていた。
久雄はしばらく、同じ「10/21」が二つ並ぶ行を見ていた。消しゴムで消せる鉛筆の字だった。二十年あまり、消さずにきた字だった。
それから立ち上がり、作業場の引き出しから自分の落款印を出した。店を閉めてから一度も使っていない、親方の形見の石に彫った小さな印だ。朱肉を叩き、去年の行の下に、ゆっくりと押した。
印を上げると、朱の四角が、紙に少し滲んで浮かんでいた。線は一本もずれていなかった。
「明日は晴れるって」
台所から佳代子が言った。
「そうか」
久雄はノートを開いたまま、朱が乾くのを待った。