月夜の短編集

2026.10.25 / その他

控えの手袋

正義・逆位置
過去 正義・逆位置
月・逆位置
現在 月・逆位置
恋人・正位置
未来 恋人・正位置

四年間で、陽向がゴールマウスに立った公式戦は二試合しかない。
 最後の秋のリーグ戦、正キーパーが足首を痛めた週に、監督が名前を呼んだのは一年生だった。陽向はその夜、相手チームのキッカーの癖をノート三ページにまとめ、一年生の下駄箱に入れた。理由は訊かなかった。訊けば答えが返ってくる。答えが返ってくれば、それを自分のせいにするか、監督のせいにするか、決めなければならない。決めずにおけば、どちらにもせずに済んだ。
 内定承諾書に判を押したのも、同じやり方だった気がする。祖母が近所の美容院で「信金さんに決まったの」と話していると母から聞いた翌日、陽向は迷っている顔をやめた。

土曜の夜、録画しておいた試合を、日付が変わってから再生した。遠い国のスタジアムで、日本人のキーパーが首位のチームのシュートを何本も弾いていた。横っ飛びの指先、それから至近距離で詰めてきた相手への飛び出し。陽向は膝の上でクッションを握ったまま、気がつくと声を殺して笑っていた。うれしいのか悔しいのか、自分でも区別がつかなかった。
 眠れないまま五時前に家を出た。父が始発のバスに乗務する日で、玄関で鉢合わせした父は何も訊かずに「乗ってくか」とだけ言った。
 始発は客が陽向一人だった。川沿いの道は霧で、ヘッドライトの先が白く溶けていた。橋に差しかかるあたりで霧が薄くなり、対岸の河川敷にある少年団のグラウンドが、ゴールの白い枠から先に浮かび上がってきた。二年前の夏、ここで小学三年の子に構えを教えた。初めてボールを抱え込んだとき、その子は泣きそうな顔で陽向を振り返った。
 ポケットの中でスマートフォンが震えた。一年生からだった。〈来週の相手のPK、また見てもらえませんか〉。陽向はすぐには返さなかった。窓の外では霧が、ほどけるというより、ところどころ破れるように退いていく。急いで全部を見ようとすると、まだ白い部分を勝手に何かで埋めてしまいそうだった。
 終点で降りるとき、運転席の父が前を向いたまま言った。
「お前、昨日の試合、見てただろ。夜中に笑ってたの、廊下まで聞こえてたぞ」
「……うん」
「そうか」
 父はそれ以上何も言わず、折り返しの行き先表示を切り替えた。

昼過ぎ、押し入れの奥から中学の頃の段ボールを出した。ノートを探していたのに、出てきたのは祖母の字で日付が書かれた封筒だった。中には地元紙の切り抜きが一枚。県大会一回戦の小さな記事の隅に、「途中出場の戸塚がPKを止め」とあった。陽向は自分でもその記事の存在を忘れていた。
 封筒の裏には、色の違うペンで「ひなた、手が大きい」とだけ書き足してあった。
 信金の話を美容院でしていた祖母が、十年近くこれを取っておいた。どちらも祖母の本当なのだろう、と陽向は思った。どちらかを嘘にしなくていい。けれど、自分がどちらかを選べば、もう片方を祖母の手から取り上げることにはなる。
 一年生には〈見るよ。ただ来年は見られないかもしれない〉と返した。打ってから、その一文を消すかどうか、しばらく画面を見ていた。消さなかった。

夕食はさんまだった。祖母が骨を外すのに手間取り、妹が手伝っている。父は早番明けの顔で黙ってビールを飲み、母はテレビの音量を一つ下げた。
 陽向は箸を置き、膝の上で、何もはめていない両手を一度開いて閉じた。
「ばあちゃん。あのさ、話があるんだけど」
 祖母が顔を上げた。妹の手が止まり、さんまの小骨が一本、皿の縁に落ちた。

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ニュースと選定

題材は「マンC撃破の鈴木彩艶 指揮官が最大級賛辞「彼は本当にファンタスティック」 6セーブで2-1勝利に大貢献」。 プレミアリーグ第8節(10月24日、ビラ・パーク)で、アストンビラの日本代表GK鈴木彩艶(24)が6セーブを記録し、開幕7連勝中だった首位マンチェスター・シティに2-1で勝利。ジャクソンが2得点、ハーランドに同点弾を許すも1点差を守り切った。エメリ監督は「彼は本当にファンタスティックな選手」「ここまで迅速に順応していることに感心している」と、野心と日々の努力を称えた。 日刊スポーツ(10/24 23:45)、スポニチアネックス(10/24 22:27)、フットボールゾーン、Yahoo!エキスパート田嶋コウスケ氏(10/25 2:01、エメリ監督の会見発言を詳報)で、試合結果2-1・6セーブ・開幕7連勝ストップ・エメリ監督の称賛を確認。日刊スポーツはプレミアリーグ公式サイトの速報(「今日も素晴らしい活躍」)を引用しているが、公式サイト本体(一次情報)は直接確認できていない。配信日はスポーツ報知記事が10/25(日)1:14配信で今日。

人物

戸塚 陽向(仮名)、22歳、地方の私立大学4年。中学から大学までほぼ控えのGK。地元信用金庫に内定済み。 名前:戸塚 陽向(とつか ひなた・仮名)、22歳、地方都市の私立大学経済学部4年。大学サッカー部の3番手GK(4年間で公式戦出場は2試合)。 家庭環境:実家暮らし。父(54)は路線バスの運転手、母(51)はスーパーのパート。父方の祖母(80)と同居。妹(17)は高校2年で吹奏楽部。家計は堅実で、大学は奨学金(貸与)を併用。 過去:中学で正GKの怪我により1度だけ県大会に出て、PKを止めた記憶が今も支え。高校・大学では控え。試合に出られない分、相手キーパーの癖や味方のシュート傾向をノートにまとめ、正GKに渡すのが習慣になった。大学2年の夏、地域の少年団でGKを教える手伝いをし、子どもが初めてセーブしたときの顔が忘れられない。 今の悩み:6月に地元信用金庫から内定、両親と祖母は大喜びで、祖母は近所に自慢して回った。一方で、GKコーチの資格や海外での指導の勉強(ワーキングホリデーや語学留学)に心が向いているが、誰にも言えていない。奨学金の返済も頭にある。 喜び・希望:深夜に海外サッカーを見ること、少年団の子どもたちからたまに届く写真、妹の演奏会。いつか「試合に出られない子の気持ちがわかる指導者」になりたい。 言いにくい本音:控えでいることに慣れてしまい、自分が主役になる選択から逃げてきたのではないかという恐れ。家族の喜ぶ顔を理由に、挑戦しない自分を正当化しているのかもしれない、と感じている。

三枚のカード

  • 過去:正義(逆位置)
  • 現在:月(逆位置)
  • 未来:恋人(正位置)

この物語は実在人物を描いたものではありません。ニュースは2026年10月25日時点の報道を起点にしており、制度変更を既定事実としていません。